ニコニコ動画に花束を


初音ミクの歌っているアルバムがオリコンamazonのランキングで上位に入っている件についてちょっと書いてみたい。
これは音楽がみんなのところに帰っていく過程の一現象なんだろうと思う。
その昔、漂っていた音楽をレコード盤に定着させ、いつでも聞けるようにした発明が出来て以降、音楽は与えられたものを聞くというスタイルになった。
自分たちで演奏してみるという楽しみ方もできたが、多くの人に聞いてもらうことは難しかった。
それを破ったのは動画共有サイトだった。
特に、ニコニコ動画は最初から音楽を楽しむということに関して異常だった。
2007年初頭、IOSYS陰陽師マッシュアップが大ブレイクし、とかちMAD・エアーマンがそれに続いた。
もちろん、ハルヒダンスも忘れてはならない。
ニコニコ動画が共有しているのは動画ではなく感情や本能に近い刺激っぽい楽しさだということを考えればこれらのヒットは当然だった。
そして2007年6月組曲『ニコニコ動画』の登場は大きな転機になった。
歌ってみた・演奏してみたの増加、MAD化等さまざまな派生作品が生まれた。
同じ頃、もってけセーラー服が削除されまくったことによる手描き動画の登場も見逃してはならない。
また、全自動タマゴ割り機・キーボードクラッシャー等の音MADもブレイクした。
かくして2007年の夏はMADと削除の季節だった。
そんな中登場した初音ミクは最初はネタとして受容されたんだと思う。
しかしミク自身の予想外の性能の良さと良い職人(プロデューサー)の活躍により瞬く間にアイドルの階段を駆け上っていった。
多くのオリジナル曲、そのPV・リミックス・歌ってみた・演奏してみた…いろんな動画が作られた。
それらはいままでのニコニコ動画の集大成であった。
多彩なコメントアートが飛び交い、まとめサイト・ニュースサイトができ、SNSまで出来た。
いつのまにか、音楽は聴くだけのものではなく参加したほうがずっと楽しいという意識変革が起こっていた。
それは音楽がレコード盤という呪縛から離れ世界に充満しだした瞬間でもあったのだ。
かくして北風がいくら吹いてもCDを買わなかった人々が、ニコニコの下ではCDを喜んで買うのであったと。


以下余談。
ところで、ミクのロボ声に違和感を覚える人がチラホラいるみたいなんだけどそれはしょうがない。
俺らのような廃は耳がなれちゃってるからそれが分からない、というか脳内補完しちゃってる。
長い間聞いてるからミクがどんなことが苦手なのかとかも分かってる。
だから恋戦でミクが叫んだときビリビリきたし、アカペラのイントロにすげーと思っちゃう。
でもメジャーデビューするってのは、そういうコンテクスト(=物語)を知っているかどうかにかかわらず単純にいい悪いで判断される世界だってのを認めなければならない。
プロなんだから聞けるものを作れて当然で、VOCALOIDだから機械だからってのは甘えにすぎない。
アイドル曲なら、まぁね、そのヘタでもね……


さらに余談。
ミクは一般受けするかって問題を考えてみる。
一番の問題はミクの外観であるアニメ絵だと思う。
アニメ絵ってのはキャラ付けするための装置なだけではなく、オタ(の縄張り)であるというマーカーでありオタと非オタを分けるペルソナ(=境界)、非オタの侵入から守る「殻」でもある。
つまり、住み分けが出来てしまっていて、誤配が難しいということになる。
ユリイカの特集は権威の方向から攻めていくというおもしろいアプローチだったけど。