三次元よりも二次元の方が重力は薄く空は高い
ここ最近、オタ/非モテ論が活発になっているので私も参加してみる。
発端となったページはココ
a) http://noza.jugem.cc/?eid=232 (注:引用ではなく私が勝手にまとめました) 「モテる」ための消費活動をしない ⇒一般的マスコミとそのバックに君臨するスポンサーが儲からない
それに対して
b) http://d.hatena.ne.jp/another/20041206#1102346948 そもそも「モテ至上主義」なんてものは実在するのだろうか? それはオタクたちが妄想ででっちあげた敵に過ぎないんじゃないだろうか? もっと言うと、「モテ至上主義」と呼ばれているものの正体は、 オタクたちが自分で抑圧している、自分自身の素直な性欲だったりはしないのだろうか?
という意見が出る。
私から見ると、これらはどちらも正しい。
現代の企業は、マスコミを使い不安を煽り需要をマッチポンプ式に作り出し商品を売りつけてきた。
曰く「バレンタインにはチョコを買わなきゃ」「こんな服イカスよね」「社会人だったらこのくらい読まなきゃ」
「××にはバイキンがいっぱい」「あなたの息クサイかも」「○○を食べると血液がサラサラになるんですよ奥さん」
「クリスマスにはせめてこのくらいのレベルの店につれていかなきゃ」「ムダ毛ってダサイよね」
...などなど、そうしなければいけないような雰囲気を作り出し買わせるのだ。
これは人の一番強い欲望である性欲で特に顕著になる。つまりa)は正しい。
こういう状況を見て、オタは恋愛至上主義に毒された愚民共と揶揄するのだ。
反面、一般人サイドからすると、大切にされるのは「コミュニケーション」であり、
これらはコミュニケーションの道具、若しくはその入り口に立つための条件なのである。
企業の言うことが半分嘘なのは十分承知していて、それをダシに会話の輪をつなげ、
自分の話のタイミングを計り、人の話からその人を見て今後の戦略を練る。これが普通。
ところがオタはおめーらバカじゃねーのでバッサリ(w
何あの人、カンジ悪ーですよもー。
話がそれた。
で、今度はb)について検討するためにその「社会」についていけないオタを解析する。
まず、
1)オタクは経済的な余裕がないとできない趣味である
を設定。仮説だけどそんなに間違っていないと思う。
次に
2)欲望は処理されなければならない
を設定。
1)+2)より
3)いい子として育てられた弊害でその欲望は劣等感と混ざりながら、屈折、紆余曲折
→本来恋愛に駆けられるハズの膨大なエネルギーはとんでもなく的外れな所に投資される
→で、発生したのがオタク時空(この中だとオタは通常の3倍のパワーを得られるのです)
つまり恋愛至上主義を主張することは
→欲望から発展したオタ世界が同じ根の一般世界を卑下する目くそが鼻くそを笑う状態
故にb)も正しい。
...どうだろうか。
未整理メモ(1)
どんな集団にも一定の割合でDQNは存在する。 自分により弱い集団をつくりあげ、スケープゴートを作り安定する。 〜>近親憎悪
未整理メモ(2)
最初から負けているのは分かっていた。 一般の価値観では我々は劣等生なのだ。 だから我々は独自の価値尺度をもつ世界をつくりあげた。 世界から外に出ることは負けなのだ。